~走る。 パーソナルトレーナー の戯言。~
2023.4.22~23日。 ”太平洋から日本海までを桜で結ぼう” 旧国鉄バス車掌、故佐藤良二氏の思いを乗せたウルトラマラソン、さくら道国際ネイチャーランが開催された。
4年ぶりの開催。様々な障壁を乗り越えて迎えたこの日、76名のランナーが名古屋城正門前に集結した。前日の開会式にて、大会規模を縮小して郡上市内までの100km程度で開催するというハーフの案も検討されていた。という事実を知った。未曾有の感染症はたった数年で、四半世紀以上にわたって守りってきたさくら道の熱意と情熱をもいとも簡単に蝕んでしまった。しかし「太平洋から日本海までというコンセプトを崩してしまっては大会そのものの意義も求心力も減衰してしまう。」という郡上市長の一存から、兼六園を目指す本来の形で無事開催されることになったのだ。ただ一人尽きない情熱を心の奥に燻ぶらせていた市長の意志と想いがひしひしと伝わってくるエピソードである。
22日午前4時、僕はスタート会場からから1kmほど離れた宿泊先のホテルのチェックアウトを済ませ、夜明け前の静まり返った名古屋市内の大通りを歩いていた。全神経を集中させて、体の調子を隅々まで確認しながら歩く。つま先から始まり、足首、膝、股関節と入念にセンサーを張り巡らせる。「果たして今日の左ふくらはぎの状態は大丈夫だろうか。」
4年ぶりの参加。前回は26時間台でのゴール。今回は25時間台を目指す。そう決断したのが昨年末の事。そして締め切り直前に参加申込書を郵送した。この4か月で衰えた走力をもどし、さらに以前より上積みさせる。なんと大胆。放胆な振る舞い。いま冷静に考えるとそんな無謀な作戦が通用するわけがないと分かり切っているのに、その日から黙々と過去を取り戻す日々と送る事となる。
ここ数年間ほとんど大会に出場することはなかった。(大会そのものが軒並み中止になり出場する大会もないので)そもそも、さくら道とスパルタスロンに情熱を注いでいたので、走る事への大義名分が存在しないのだ。さらに僕を取り巻く生活環境も大きく様変わりした。東北地方への転勤が決まり、慣れない土地での生活が始まった。そんなに雪は降らない地域だと聞いていたが、5cm積もれば都市機能がパニックに陥るような所からやってきた者にとってみれば、随分と雪の降る町で、引越しのトラックがアパートの駐車場に入れず立ち往生するはめになり、大量の雪をかき分けて道をつくる事が最初の仕事となった。おかげで作業が半日近くが遅れ、クタクタになりながらようやくすべての荷物を運び入れた時はすでに深夜になっていた。こんな所で生活していけるのだろうかと、たった1日で故郷が恋しくなった。新しく配属された職場の仕事を覚え、同僚の顔と名前を覚える。土地勘がないので何をするにも、グーグルマップを開く事から始める。生活に必要な物を集め、地域の情報を取得する。そんなことに苦慮している僕の前で、雪は毎日のように降り続ける。必死の思いで覚えた事を雪が真っ白にかき消していくようで、随分とフラストレーションがたまったものだ。
そんな生活をしばらく過ごしてるうちに少しずつ落ち着きを取り戻し、ようやく幾許かの余暇を手にすることが出来るようになった。では、久しぶりにジョギングにでも出かけてみようかと思い立ったのだが、外は一面の銀世界。走る事のできる道など一本もないのである。
週末は海岸線まで雪の少ない地域を目指して車を2,3時間走らせた。大型施設の駐車場などに車を停め、そこから走り出す。雪の降らない地域といえども最高気温は5℃に満たない。海風が容赦なく顔に吹き付ける。体感気温はもはや氷点下だ。ガチガチに冷え固まった脚をぎこちなく動かし続けても体はまるで温まらない。そんな修行のような過酷なランは実に退屈で、ちっとも好きになれないので、海岸沿いに点在する温泉施設を片っ端から探し、そこに車を停めて走り出すことにした。冷えた体を温かい湯で癒し、海の幸などを頂く。こっちに来てから週末たった1回のファンランがすっかり定着してしまったが、少しは楽しく走れるようになった。三陸の地理にも随分詳しくなったことだし。
2年ほど過ごした東北での生活が終わり、ようやく故郷に戻ることができた。巷では相変わらず感染症による諸問題がはびこっていたが、徐々にマラソン大会の開催が再開されているようだ。東北にいる時からちらほら大会が再開されているようだったが、多忙の日々と僻地ゆえの交通の便の悪さから、動くに動けない事情を抱えていたので、ろくすっぽ大会情報など調べずにいた。さくら道とスパルタスロンに出る事も叶わないので、どうでもいいのであった。
昨年の晩秋からようやく本腰を入れて走り出した。徐々にイベントが開催され様々な規制も緩和されていくようになった。年が明ければ今まで中止されていた数多くのマラソン大会も通常通り催されていくのであろう。事実、その年のスパルタスロンは多くの日本人が参加し、以前の活気を取り戻しているようだった。僕は遠い東北の地からスマホの画面越しに仲間たちの走りに熱狂した。今年から選手一人一人にGPSが付けられており、専用のURLを開けば選手の現在地が手に取るようにわかるようになっていた。スマホの中のギリシャ地図上で、仲間たちがゴールに向けて少しづつ進んでいる。同じく日本で応援する仲間たちとSNS上で盛り上がり、「誰々が上位に付けている」「誰々さんがさっきから動いていない」などと解説と実況を交えて盛り上がっていた。その地図の中に自分の名前がない事が少し悔しかったが、こうしてまた熱狂できるものが戻ってきたという喜びの方がはるかに勝っていた。
午前5時、最初のランナー16名がスタートの合図とともにが勢いよく飛び出していく。4年ぶりのさくら道のはじまりだ。さくら道はウェーブスタート方式である。今年は76名のランナーが5つのグループにわかれ3分置きにスタートする。僕のスタートは5時12分。一番最後のウェーブだ。
昨年の11月に100kmを超えるトレイルのレースを走った。コースの3分の2にも満たないところでリタイアした。久しぶりの復帰戦で得たものは、諦める事と左膝に負った怪我だった。1ヶ月前には最終調整の意味で100kmのウルトラマラソンを走った。残念な事に自己ベストから2時間半も遅い記録をたたき出してしまった。おまけに左ふくらはぎ付近に原因不明の激痛という厄介な副賞まで頂いた。最終調整どころか最終宣告を受けたようだった。
さくら道は背水の計であった。今思えばどっぷり水の中に陣を構えていたようであったが、逃げ道を断って戦わなければならなかった。出場したくても出来ない人達の想いを無下にできないという気持ちもあったが、自分にけじめをつけるという気持ちの方がはるかに強かった。いや、けじめというか自分はこんなにも衰えた。という事実を受け入れるため、証明するためにだ。前回少しいい記録を出したからといって悦に浸り、ちょっと走り込めば、すぐ以前のような走力が戻るだろうと高をくくっていた僕は、大好きなさくら道のコース上でこてんぱんにやられて、ぐうの音も出ないほどに、完膚なきまでに叩きのめされてしまえばいいのだ。残酷な現実を突きつけられてしまえばいいんだ。そう思っていた。もちろん全力で完走を目指している。しかしどれだけ甘く見積もっても、兼六園の佐藤桜が僕の目の前に現れる映像が浮かんでこないのである。
午前5時12分。果たして私のさくら道はスタートした。沿道の声援に見送られながら、一路兼六園の佐藤桜を目指す。
スタートして2歩。たったの2歩だ。右脚、左脚と踏み出し着地した瞬間、ふくらはぎに激痛が走る。痛い。まあ、いつもの事なんだけど、やっぱり心が折れそうになる。たいてい10kmほど走ると脚も温まるのか、痛みも消えてくるので、とにかくゆっくりと負担をかけずに進むことにする。どうせ序盤は信号待ちでかなり足止めを喰らうことになる。歩きを交えながらのんびりと行くしかないのだ。さあ、左脚よ。少しでも長くもってくれよ。
今年は風が強い。しかも向かい風だ。兼六園に向かって北へ進路を取ることになるのだから、この風とは長い付き合いになりそうだ。厄介者だが仲良くやらねばなるまい。「どうぞよろしく。優しくしてね。」と、向かい風に挨拶を済ませる。
スタートから数百メートル、何やら騒がしい男性の姿が目に映る。アンプ内蔵型ギターを肩にぶら下げてジャカジャカかき鳴らしながら叫んでいる。「ブラボー!ブラボー!」どこか聞き覚えのある声だ。2018スパルタスロンで知り合った仲間である。彼と僕にはヘヴィーメタル好きという共通の話題があった。ランナーつながりの仲間の中で、珍しくラン以外の事を語れる仲だった。グリファダのスーパーマーケットからの帰り道、ハチミツとピスタチオがぎっしり詰まった買い物袋を両腕にぶら下げて、誰も知らないバンドの誰も知らないアルバムについて随分と熱く語った。まっすぐで、熱くたぎるような文字通り鋼鉄の心をもった信頼できる人だった。誰にも知らせずサプライズで名古屋まで駆け付けたのだという。彼らしいやり方だ。おかげで痛みで歪んだ気持ちが、一瞬で晴れやかになった。「ブラボー!」
最終ウェーブのランナーは歴戦の兵ばかりだ。前回優勝者や歴代優勝者はもちろん、各地のビックレースで名を馳せた者がぞろぞろといる。一応私もその中の一人として数えられるのであろうが、残念ながら前述の通りのありさまで、今回ばかりは第1ウェーブでスタートしたい気持ちになったのである。皆とにかく速くて、あっという間に置き去りにされてしまった。先にスタートした組にも追いつけるはずもなく、終始後方待機の苦しい展開となった。
とにかく脚が痛い。20km走っても30km走ってもその症状は改善の兆しが見られず、むしろよりひどくなっていく感じさえする。足取りはみるみるうちに重くなり、体じゅうを包み込むような疲労が襲ってくる。本来200kmを過ぎた頃にやってくるであろう体の異変が、フルマラソンに満たないこの序盤の序盤にやってきたのだ。確かに脚の痛みの影響が最も大きいのは否めない。しかし普段の練習でもここまで落ち込むことはなかった。他にも原因はあるはずだ。冷静になってこの事態を分析する。補給は足りているのか?水分は?塩分は?風の影響で汗の蒸発が早く脱水に気付くのが遅れたか?気温が高いようだ。それが影響して内臓が弱まっているのか?左ふくらはぎをかばい過ぎるあまりに他に負担がかかったか?様々な可能性を模索するが、解決策はおろかその原因の糸口を掴むことも出来ない。どうやらこの4年間まるでアップデートされていない旧バージョンの頭では、この難局を乗り越えることはできない様である。仕方ない。この脚で地道に進むしかないか。
スタートから67.2km。ようやく第1チェックポイント「道の駅美並」に到達した。ここまでどれほどの時間を要したのか、もはや時計を確認する気力さえなかった。エイドにはスパルタスロンを共に走った大御所ランナーが皆の応援に駆け付けていた。来るランナー来るランナーすべてに檄を飛ばしている。その方は、途轍もなく強いランナーだ。早いランナーは数えきれないほど見てきたが、これほど強いランナーを見たことがなかった。ケガをしてレースから遠ざかっているようであり、どうやら近々股関節の手術を受けるらしい。疲弊しきった僕の姿を見ると、腫れ物に触るようにいたわりながら、言葉を選ぶように声を掛けてくれた。「実力のあるランナーがこんな後ろを走っていると、自分自身に色々と思う事もあるかも知れないけど、さくら道は完走してナンボだからな。絶対諦めるなよ!」熱い檄が飛ぶ。今の自分の頭の中を完全に見透かされたような、悔しいほど的を突いた言葉であった。本当はもっと走れるのに。こんな実力じゃないんだ。本来ならもっと前を走っているはずなんだ。考えても仕方のない事ばかりで頭がいっぱいになり、そんなやり場のない悔恨の念が頭の中を占領していた。「さくら道は完走してナンボだからな。」その通りだ。くよくよどうでもいい事ばかり考えて、完走という単純明快な二文字がまるで欠落していた。彼が大御所ランナーと皆から崇められる所以を見たような気がした。なるほど道理で強いわけだ。
72.1km美並郵便局エイド。施術用の折りたたみベッドが広げられている。ベッドの上で入念に脚のマッサージを受けるランナーが苦悶の表情を浮かべて横たわっている。整体を営んでいる運営スタッフの方が、動けなくなったランナーにマッサージを施すため、車を走らせエイド間を忙しく行きかっているのだ。深夜早朝問わず、要望があれば道路っ端でも行うのだという。それをほとんど一人でやっているのだから本当に頭が下がる。私は、申し訳なさそうに声を掛け、施術をお願いした。
縋る思いでとにかく左のふくらはぎが痛い事を伝える。先生は患部を確かめるように触診すると、バッグからテーピングを取り出し、足首から踵にかけてぐるりと巻きつけた。患部の痛みは接地の悪さからきているかも知れないということらしい。足首が内側に倒れ込まないように固定してくれたのだ。確かに幾分楽になった。とにかく今できる事はこれくらいしかない。お礼を済ませ再び走り出した。
先生のおかげで大分痛みは和らいだが、安心している暇はない。施術したからといって、劇的にペースが上がるわけではないのだ。ペースの減衰が抑えられた程度に過ぎないのだ。本当の苦しみはこれからやってくる。強い意志や覚悟なんかがいとも簡単に崩れるような局面が幾度となくやってくるのだ。この手のレースをやっているなら当たり前の事ではないか。この醍醐味を味わうためにここにいるのだろう?虚勢を張り、己を鼓舞して先へ進む。単純明快なタスクを胸に刻んで。