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スパルタスロン というレース③

~走る。 パーソナルトレーナー の戯言。~

パラレルワールド

選手たちが滞在するホテルの部屋は相部屋である。家族などの帯同者がいなければ、同じ国の人同士で適当に振り分けられる。室内はがらんと冷たく静まりかえっている。ルームメイトはまだ到着していないようだ。とりあえず荷物を置いて、先に受付を済ませよう。

フェニックスホテルは選手受付の会場も兼ねている。ロビーの奥にあるホールでは選手たちが受付に並ぶための列をつくっている。筋張った筋肉、無駄な肉を削ぎ落した引き締まった体躯。見るからに屈強な欧米人たちの姿はまるで神話に登場する戦士のようだ。戦士たちはロビーに集まり、あちらこちらで陽気に会話を弾ませている。久しぶりの再会を懐かしむように握手やハグを交わし合っている。彼等は「ウルトラマラソン馬鹿」を共通タグとして、皆何処かしら、誰かしら繋がりがあるのである。このロビーの中は、三歩歩けば歴戦の将に遭遇するという巣窟が築かれているのだ。日本人の姿もいくつか見られる。彼等もまた、サムライのようだ。サムライたちは隠しきれない屈強な肉体美を露わに「おぉ、久しぶり。今年も来たんだね。」などと一年ぶりの再会に喜んでいる。決戦前の戦士やサムライは皆一様にして穏やかだ。さすが歴戦の猛将智将である。

一方の私は同じ日本人の中にさえ、知り合いがいない。その光景をただ黙って見ている他はない。空港では同じ飛行機で到着した日本人がたくさんいた。皆、顔見知りらしく、久しぶりの再会を懐かしみながら数人でタクシーに乗り込んだり、バスに乗ったりしてホテルまで移動するようであった。そういえば、もうずいぶん日本語を発していない。なんだか急に寂しくなった。なんだかとてもに弱気になった。

受付会場で飛び交う異言語に怯え、狼狽え、隅っこで小さくなっている私はまるで借りてきた猫のようだ。周囲を執拗に警戒し、恐れおののく猫は、背後から「日本の方ですか?」と声を掛けられる。丸くなった背中をのっそりと返し、虚ろな目で振り向く。現地在住の日本の方だ。ボランティアスタッフとしてサポートしてくれているようである。必要な書類を準備してこの列に並んで下さい。と丁寧に案内してくれたので猫は非常に喜んだ。猫の他にも列に並ぶサムライの姿があり、ようやく胸をなでおろす。母国語で気兼ねなく話すひとときを得た。

ここにいる人達の間には皆、共通の話題があり目的がある。つまり歓喜や感動の沸き立ち方や、苦労や葛藤に対する対処の構造が同類なのである。だからすぐにお互いを理解し合い、尊重することが出来るのである。列に並んでいる10分そこそこの会話や所作の中に、相手の人となりを知ることが出来る。日に焼けた腕や、太く締まったふくらはぎが、彼等の引き下げる実績や武勇伝を痛いくらい実直に証明している。そんな者たちがつくる列に一緒に並んでいる自分がどうも哀れで不釣り合いで身体がむず痒く感じた。「なんだあいつも走るのか?」「いやあれは猫だ。走るわけがない。」こ奴ら、私が言葉を知らぬ事をいいことに好き放題言っているのではないか。などと疑心暗鬼に陥り、いよいよ尻尾を巻いて逃げ出したいくらいであったが、どうにか持ちこたえ戦意を喪失せぬようにと、心で念じ続けた。

明後日の朝にはこの屈強な兵士たちに紛れて、アテネの町を走り抜けているのだ。自分の意志で歩んだはずの道なのに準備が整うより先に現実がやってくる。気持ちの整理が追いつかず、上手く処理できないままだ。まるでパラレルワールドに紛れ込んだかのようだ。

必要書類を渡し、国籍や名前を確認する。ゼッケンを受け取る。「106番」。日本のようなテキパキとしたやりとりがなされず、いつまでたっても書類が送られてこなかったり、情報が錯綜していて本当にスパルタスロンにエントリー出来ているのか正直不安に思っていた。誰かに聞こうにも誰もいないので、時折不安になったりした。受付の列に並んでいるこの時もその不安は払拭されないままであったが、こうして無事ゼッケンをもらうとようやく背筋が伸びる。

異国のパラレルワールドに紛れ込んだ一匹の猫は、このゼッケンを丸い背中に貼り付けて、フェイディピデスの軌跡ひた走るのだ。

オープンハート

受付を終えた。暇である。暇つぶしに町に繰り出してみることにした。ホテルを出る。どっちが繫華街が分からぬが、とりあえずタクシーの車窓から見た賑わう街並みの記憶を頼りに歩いてみた。非常に歩きにくい。歩道のタイルは所々剥がれ乾いた土が露わになっている。剥がれていない場所に足を乗せると、ぐらついてバランスを崩しそうになる。大変危険である。もしやギリシャの歩道はすべてこのような状態なのだろうか?これではガレ場のトレイルとさほど変わらないではないか。

そういえば、ギリシャのアスファルトは日本より硬いという情報が散見していた。その真意のほどは定かではないが、スパルタスロンを経験したランナーたちの情報によると、ギリシャのアスファルトは打替えや補修にかかる工数や費用を考慮して、耐久性を重視しているとの事だ。その工法も日本とは若干異なるらしい。難しい事はよく分からないが、とにかく厚く硬くなっているようだ。だから同じペースで走っていてもアスファルトの反発と衝撃を日本より強く受けてしまい、ダメージの蓄積が早いのだという。ふむふむなるほど。と思ったが、こればっかりは現地で確認する他はないので、ちょうどよい機会だ。ちょっとアスファルトの感触を感じてみようと思った。

車道に脚を踏み入れる。パンパンと叩くように脚を踏みつけて感触を確かめる。乾いた短い音が小気味よく響く。小走りに駆け出してみる。正直よくわからない。硬いと言えば硬いかも知れないが、それは「オニーサン、ギリシャのアスファルトはカタイよ~」という情報が刷り込まれているからそう感じるのか、実際にそうなのかまるでわからない。しばらく繰り返してみるが、だんだんどうでもよくなってきた。そんなことよりも、さっきからひっきりなしに往来する車の方がよっぽど気になる。いっさい速度を落とさず、ビュンビュンと私の体ギリギリを通り抜けていくのである。しかもこ奴ら、先ほどからクラクションをビービー鳴らすばかりで、避けようという意志がまるで感じられない。これでは固いアスファルトに脚がやられるより先に、車に轢かれてペラペラにされてしまうではないか。このままでは命がいくつあっても足りないと判断を下し、検証を諦めた。いそいそとガレ場のトレイルに戻る。再び街を目指し歩き出した。

路上を埋め尽くすように停められた車。その脇や隙間を縫うように行きかう車やバイク。排気ガスと陽炎に揺れるその奥に住宅、飲食店、雑貨屋、衣料店、煙草屋、スーパーなどがひしめき合うように立ち並ぶ。建物はどれも古く、ひどく朽ちているものもあるが、比較的綺麗に改修されている。区画された通りに並ぶ街路樹。プラタナスや菩提樹が整然と隊列をなして植えられている。ヤシのような植物が南国らしさを演出している。通りの壁には落書きもいっぱいだ。壁という壁、柱という柱に隙間なくびっしりと描き込まれている。

空がやけに高い。空港から外に出たときに感じていた開放感の正体はこの空の高さだ。青く広がる空はどこまでも深く遠い。視界のほとんどを青空が埋め尽くしている。

カフェやレストランのテラス席は地元の住民や観光客で賑わっている。香ばしくグリルされた串焼き肉のスブラキにかぶりつき、ビールやワインを豪快に流し込んでいる。薄切りにした炙り肉を新鮮なトマトやオニオンスライスなどと一緒にパンに挟んで食べるギロピタや、コーヒー片手にゴマを大量にまぶしたパン、クルーリーにかじりついている人もいる。その活気と喧騒の中を貫くように通されたレールの上をトラムが散歩するようにのんびりと走り抜ける。タクシーの運転手は黄色い車体に寄りかかり、退屈そうに煙草をふかしながら同僚と駄弁っている。買い物袋をぶら下げたマダムが大きな尻をブルブル揺らしながら通りを横切る。エーゲ海に浮かぶ白い壁、青い屋根という、旅行雑誌で見るような、いかにも概念的な街並みとは違う。ちゃんと生活を営んでいるし、ちゃんと呼吸をしている。神秘的で概念的な街も悪くないが、その中に溶け込むことは難しい。いつだってお客様だ。いつだって傍観者だ。でもこの街は、私をどこにでもある部品のように扱い、分け隔てなく組み込んでくれそうだ。②へ戻る ④へ進む