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スパルタスロン というレース ①

~走る。 パーソナルトレーナー の戯言。~

スパルタスロン。

2017年9月27日未明。羽田空港。カタール経由でアテネへ向かうフライトの搭乗手続きを済ませ、空港内をうろうろと徘徊する。空港という所は多くの人がひっきりなしに行きかうせわしない場所だと想像していたが、この時間はさほど人もおらず、ひっそりとしている。先に白状しておこう。私は今日、生まれて初めて海外に行くのである。飛行機に乗るのは5年ぶりだ。当然、国際線デビューである。

知らない国にたった一人で行き、246kmのマラソン大会を走って帰ってくる。デビュー戦にしては随分ハードルが高いような気もするが、仕方ない。どうしても達成したい目標を見つけてしまったのだ。それがたとえで南極であっても行かなくてはならないのだ。

スパルタスロン。開催国ギリシャ。9月最後の金曜日、午前7時スタート。アテネからスパルタまでの246kmを36時間以内で走破。30以上の国と地域から400名のウルトラランナーが集まる世界で最も過酷なマラソン大会の一つに数えられる。

その由来は、紀元前490年、「マラトンの戦い」まで遡る。アテネ軍の使者フェイディピデスは援軍を要請するため、ペロポネス半島の南部の内陸に位置する町、スパルタへと向かった。山岳地帯を縫うように続くその道は、優に200kmを超える。しかし、彼はその悪路をもろともせず、出発の翌日にはスパルタに到着していたのだという。にわかに信じられない言い伝えである。時は遡り、1982年。その伝えを聞いた英国空軍中佐ジョン・フォーデンもまた、訝しげに感じていた。果たしてそんなことが可能なのだろうか?30時間余りで200kmを超える距離を走破するなど出来るのであろうか?普通であれば訝しんで終わるところではあるが、フォーデンは違った。なんとフェイディピデスが歩んだであろうルートを忠実に再現し、自らその脚で走ったのである。他の同僚4名と共にアテネからスパルタまで道のり実に246kmを走った。そして、フォーデンを含めた3名が見事走破し、そのタイムは皆40時間を切っていたのである。翌年、様々な支援者や協力者のもと、第一回スパルタスロンが開催された。12か国から男子44名、女子1名の参加であった。フォーデンの挑戦は今や、世界中から馬鹿どもが集まる世界屈指のウルトラマラソン大会へと変貌を遂げた。そして現在も尚、新たな挑戦者と勇者を輩出し続けているのである。

そしてまた一人。私という馬鹿な挑戦者がアテネの地を踏むのである。

ギリシャへ。

「ギリシャに行って、246km走ってきます。」その強烈なインパクトのおかげで、上司は一つ返事で休暇を承諾してくれた。海外勤務経験のある同僚や先輩があれやこれやと、ことあるごとに情報を提供してくる。「タクシーはぼったくられるぞ。」「スリがうじゃうじゃいるぞ。」「乗り継ぎで先で荷物が紛失するぞ。」「あいつら、時間守らねぇぞ。」「交通ルールも守らねえぞ。」そのほとんどが日本人が抱く外国への偏見であり、ギリシャについての具体的情報など何一つなかった。私を不安にさせるための冷やかしであったが、棚卸を控えた期末の忙しい時期に文句ひとつ言わず送り出してくれるその優しさが、大変ありがたかった。

27日未明に羽田空港を出発した飛行機は、無事に経由先のカタール空港へ到着した。ここでアテネ行きの飛行機へ乗り継がなくてはならない。乗り継ぎ時間は1時間である。すべてが初めてづくしの中、見知らぬ空港でこのミッションを遂行しなくてはならない。たかが乗り継ぎ程度で大層な言い草である。今の私の精神はそれほど脆弱で心細いのだ。実は、このカタール経由のフライトはスパルタスロンに参加する日本人が最もよく利用する便らしく、周りを見渡すとそれっぽい日本人が結構いるじゃん。って事をのちに知るのだが、その時は不安と緊張が私をロボットのようなぎこちない歩行にさせていたので、首が回らず周りが見えなかったのであった。

とりあえず電光掲示板でアテネ行きの搭乗ゲートを確認して『transfer』の看板だけを頼りに足取り早く進む。あらかじめネットで入手しておいた空港内のマップが役に立つ時が来た。位置関係を把握しながら着実に進む。想像していたよりずっと大きい。さすがはアジアとヨーロッパを結ぶハブ空港である。しばらくするとサッと視界が広がり、広場のような場所に出た。カフェや免税店が無数に立ち並ぶ。きれいにデコレートされたマフィンやサンドウィッチがショーケースを彩っている。見たことのないチョコレートや酒が堆く陳列されている。私は田舎者丸出しで呆然と立ち尽くした。中央に巨大な黄色のクマのオブジェが鎮座している。シャツのボタンのような二つの黒い目がカワイイ。よく見ると、茶色のランプが鈍く光りながらクマの背中を貫通するように立っている。ランプシェードが帽子のようにクマの頭を覆い、顔は白く照らされている。芸術家の意図に関係なくその周りを多くの人が行きかう。マントのような白い布を身に纏った中東の人達が空港内を闊歩している。頭には白い布をかぶっている。すべての人が石油王に見えてきた。ヘリに乗る院長。高須クリニックのCMが頭をよぎる。何もかもが非現実の世界のようだ。たったそれだけで異国の地を訪れたのだという実感が湧いてくる。たかだか空港の中でこの騒ぎなのだから、ギリシャに到着すれば気を失ってしまうかも知れない。

黄色いクマの広場から放射線状に搭乗ゲートへ続く通路が伸びている。自分が搭乗するゲート方面を確認して進む。思っていたよりも分かりやすく、随分簡単に乗り継ぎが出来た。クマは私の不安を払拭する頼もしいナビゲーターとなってくれた。芸術家の意図に関係なく、私にとっては幸せの黄色いクマなのであった。

アテネ行きの飛行機が飛び立つ。この飛行機がいよいよ私をギリシャの地に運んでくれるのだ。年甲斐もなく窓から顔をのぞかせ、雲に包まれた真っ白な景色を眺める。時折、雲の隙間から海に浮かぶ無数の島々が顔をのぞかせる。「もしや、あの島はギリシャであろうか?」「あの島はどうだろう?」ギリシャという国がどんどん私に近づいている。スパルタスロンを知るまで、縁もゆかりもまるでなかったヨーロッパの小国に今こうして向かっている。確かに向かっているのだ。想いが形になる場所だ。好きな自分になれる場所だ。たとえ街で強盗に出くわし身ぐるみすべて剝がされたとしても、悪い奴らに騙されて大金をせしめ取られたとしても、私はきっとこの国を嫌いにならない。

飛行機はいよいよ着陸の体勢に入った。機体は大きく旋回しながら高度を下げる。雲の中をかき分ける。陸地がグングン近づいていく。今見ている陸地は紛れもなくギリシャである。いかにも乾いた褐色の土や岩肌が露出する山々。その中腹や周りを囲むように白い壁の民家が無数に点在している。写真で見たそのままの世界だ。その世界に引き寄せらるように吸い込まれていく。この世界で馬鹿となり勇者となるための冒険がいよいよスタートするのだ。そして機体はズシンと音をたてながら滑走路へと滑り込む。

グリファダという町。

滞在先はてっきりアテネだと思っていたが、どうやら違うようで、アテネから南へ20kmほどの近郊の都市グリファダという町らしい。エーゲ海に面して位置するその町は、アポロコーストと呼ばれる美しい海岸線が続き、リゾート観光地として人気を博している。スパルタスロンはレース参加料の他、期間中に滞在するホテルの料金やレース後のパーティーやセレモニーの料金もエントリーフィーに含まれている。その料金は520ユーロ(当時。2023年は820ユーロ)。滞在中はホテルで毎日3食、食事が提供されるので、とてもリーズナブルだといえる。すべての国の選手がここグリファダにあるいくつかのホテルに振り分けられる。だいだい国ごとに振り分けられており、日本選手は『FENIX HOTEL』が滞在先という事になっていた。

入国審査を経て、手荷物を無事受け取る。いよいよギリシャに降り注ぐ太陽の光を生で感じる瞬間がやってきた。

空港の外に出た。一歩踏み出す。大陸だ。ここはユーラシア大陸なのだ。その空気を体じゅうの毛穴という毛穴をひらき皮膚から吸収する。往来するバスが運んできた風を肌で感じる。乾いている。日本の湿った空気とはまるで違う。空はやや曇っていた。それでも気温は高く、雲の隙間から時折のぞかせる太陽の日差しは、じりじりと刺すように熱かった。オーブン。日本の夏がスチームサウナのような暑さなら、ギリシャはオーブンから噴き出す乾いた熱風の暑さだ。この気候の中、246kmを走るのか。とにかく、やってきたことをやるしかない。わざわざここまで来たんだ。

古いメルセデスのタクシーに乗り込む。運転席には軽く100㎏はあろうかという巨漢のギリシャ人がずっしりと腰を落としている。大男の陽気に語りかけてくるその顔に親近感が湧いた。「グリファダにあるフェニックスホテルまで。」よく口にするであろう英語の表現は頭に叩き込んできた。大男は親指を立ててニッと不敵な笑みを浮かべた。そして乗車レーンからギュインと急ハンドルを切って車線に合流した。のっけからアクセル全開である。カーブで片輪が浮く。キュルキュルと音をたてながらタイヤがアスファルトの上を滑る。タクシーは縦横無尽に道路を駆け回る。私は後部座席で体を転がしながら思った。この国に道路交通法というのはないのか?なるほど。同僚が言っていた事に概ね間違いはなさそうだ。

大男はルームミラー越しに何かと話しかけてくる。「どこから来た?」以外は何を言っているか理解できなかったが、お構いなしだ。陽気に笑いながら、腕から延びるソーセージのような太い指をハンドルに巻き付けて、巧みなハンドル捌きで周りの車と豪快なカーチェイスを繰り広げている。タクシーは乾いた大地から大量の砂埃を巻き上げて猛スピードで進んでいる。車窓から見える山の木々は総じて低い。褐色の土が所々露出している。日本と比べて雨も少ないし乾燥しているから大きく育たないのだろう。今までとは全く異なる気候の中でのレースだ。こればっかりはやってみなくては分からない。大男は相変わらず何かを訴え続けている。わたしは笑顔で目を配り、車窓から流れる景色を散文的に眺めた。

タクシーは無事にフェニックスホテルへ到着した。空港からアテネ近郊の町までのタクシー料金の相場は35ユーロ程度だと聞いていた。私は大男に50ユーロ紙幣を一枚手渡した。ついでに「Keep the change」と言葉を添えた。すると大男はムクっと巨体を起こして、いそいそと車から降り、小走りにトランクまで行き、わざわざスーツケースを運んでくれた。その顔は満面の笑みである。最後は硬い握手まで交わした。親指を立ててタイヤスピンさせながら上機嫌で走り去っていった。ファーストコンタクトのギリシャ人があの大男で良かったと思った。人間味に溢れた振る舞いにギリシャに対しての親しみが一気に湧いたのである。日本から十数時間。とりあえずチェックインを済ませて、部屋で落ち着こう。②へ続く