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神宮外苑24時間 チャレンジ ⑤

~走る。 パーソナルトレーナー の戯言。~

ゲームオーバー。

結局、私は30分ほど時間を無駄にした。無駄に歩き、無駄に座り、無駄に喉を潤し、無駄に空腹を満たした。そして無駄に時計を見て、無駄に距離を確認した。たったこれだけの行動をとるのに30分もの時間を費やしてしまったのだ。もしこの教訓を生かしていたなら無駄ではないのだろうけど、実は同じ過ちを翌年もさらにその翌年にもやっているのだから無駄であることこの上ないのである。

23時間を過ぎる。トップランナーの足取りはスタートした時と変わらないのでは?と思えるくらい力強い(実際ほぼ一定のペースを保っている)。私はようやく走り出したが、無駄な時間が体をガチガチに冷やし固めてしまい、体がバラバラに引きちぎれてしまいそうだった。がむしゃらにもがき苦しみなが走っても、まるで前に進んでいないように感じた。沿道からは力強い声援が飛び交う。頑張れ、あと1時間だよ。あと1時間の辛抱だよ。と。

少し後悔していた。いや、結構後悔していた。結果論ではあるものの、あるいは210kmを超えることも可能だった。無駄に過ごしたあの30分間はもちろんだが、後悔の念はそれ以外の時間の過ごし方にまで及んだ。あの時、もっと早く補給を済ませられたんじゃないか?終盤にかけてエイドに留まる時間が増えていったではないか?その小さな時間を積み重ねれば、プラス2~3周は稼げたのではないだろうか?

ちょうど残り1時間というところで200kmに到達した。もちろんうれしい。もしかしたら、うれしすぎて少し涙ぐんだかもしれない。ただ私のトピックスはすでに、残り1時間の走り方についてだった。

残り1時間を切ったこの時間帯になると、コース上は再び賑やかさを取り戻す。疲れ果て休息をとっていたランナーも最後の力を振り絞ってコースに復帰し走り出すからだ。誰もが24時間を知らせるブザーが鳴り響くその瞬間をコース上で迎えたいのだ。

2023年を生きる私はこれまで24時間走を3回経験している。しかしそのすべてが苦い思い出である。少なくとも私にとって24時間を知らせるブザーは、達成とか歓喜とか感動を届ける音ではない。

コース上では熱い声援が飛び交う。あと30分で終わりだよ!あと少しだよ!私は心の中で叫ぶ。違う。あと少しで終わりじゃない。終わっちゃだめなんだ。時間が足りないんだ。せめてあと20分、いや10分でもいいから時間をくれ。最初から24時間と分かっているのに、なぜその時間内で自分はやり切れないんだ!畜生!情けない。24時間を告げるブザー。私にとってそれはゲームオーバーを告げる非情な音なのだ。

この音をいつか祝福の鐘のように聴きたいものだ。2023年3月11日。久しぶりに神宮外苑に24時間走が帰ってくる。私はというと、出場しない。祝福の鐘のようになぞとぬかしておきながら出場せんのかい。という意見もあるかと思うが、色々な事情に巻き込まれてエントリー出来なかったのだ。だからこっそりと深夜に顔を出そうかと思っている。24時間走において皆が寝静まったこの時間帯が実は一番濃密なのである。喜怒哀楽、悲喜交々、嬉笑怒罵、様々な感情が入り交じり錯綜する深夜の心理スクランブル。それらをじっくり拝見しながら悦に浸ろうか。随分高飛車賊心な物言いだが、決してそうではない。無心で走り続ける姿は同じ競技に興ずる者として、この上のない敬意を払った言葉だ。