~走る。パーソナルトレーナー の戯言。~
睡魔。
前半12時間を終えた時点での私の周回はこうだ。
- 1時間 7周(9.275km 6’28”/km)
- 2時間 8周(19.875km 6’02”/km)
- 3時間 8周(30.475km 5’54”/km)
- 4時間 7周(39.750km 6’02”/km)
- 5時間 8周(50.350km 5’58”/km)
- 6時間 7周(59.625km 6’02”/km)
- 7時間 7周(68.900km 6’06”/km)
- 8時間 7周(78.175km 6’08”/km)
- 9時間 7周(87.450km 6’10”/km)
- 10時間 7周(96.725km 6’12”/km)
- 11時間 7周(106.000km 6’12”/km)
- 12時間 6周(113.950km 6’18”/km)
1時間に7~8周をほぼ安定させ12時間で約114km。今まで11時間が最長走行時間であり、もうすでに未知の領域へと足を踏み入れている。オークスにのぞむ可憐な牝馬たちの姿を想像した。そのあと徐々に疲労の色を見せつつも、12~13時間で6周、13~14時間で7周と大きく落ち込む事はなく走行距離は130kmを超えていた。時刻はすでに深夜1時を回り、辺りはひっそりとしていた。
しかしその後異変が起きた。猛烈な睡魔が襲ってきたのである。
未知。
倦怠感が全身を包み込むように蝕んでいく。ペースが保てなくなり、ピッチもストライドもみるみる落ちていく。身体が沈み込むように重く、頭に大きな布をグルグル巻きつけられたような感覚にとらわれ、ふらふらして自分がどの方向に進んでいるのかさえ分からない。歩道の植え込みにガサガザっと足が触れる。ハッと我に返る。また歩み出すが、数歩も踏み出さないうちにまたガサガサと足が触れる。再びハッと我に返る。そんなことを幾度となく繰り返す。いっその事、このまま植え込みに突っ込んだまま、眠り呆けてしまいたい。そう思った。
24時間走を考えるうえで避けては通れない壁。それは夜を乗り越えるという壁だ。これは超長距離レースすべてにおいて言える事なんだけど、よっぽど長いレースか特異なレギュレーションでない限り、基本的に睡眠をとることを前提としてレースプランを立てる人は少ないのである。なんとも新宿鮫のような連中なのだ。壁は突然立ち塞がったり、徐々に姿を現したりと、その手練手管足るや否やとにかく卑劣極まりないのであり、我々は壁すなわち睡魔につかまらない様にあの手この手と対策を施し、彼らが迎えに来ても討ち払うか、もしくはそもそも彼らとは縁を断ち切るかを、常日頃から訓練をしているのである。
そして2023年を生きる僕はそれら諸問題のほとんどを経験し対策してきた。そしていくつかの点についてはほぼ解決済みといってもいいだろう。しかし当然のごとく2016年の私にとっては全くもって未知との遭遇であって、それは実に混迷を極めたのだ。
覚醒。
私の右脇を次々とランナーがすり抜けていく。(言い忘れたが、反時計回りに周回を重ねるので追い抜くときは右側になる)もう終わったと思った。この猛烈な眠気にあと10時間近く耐えられるはずがない。次々と襲い掛かってはたちやまない睡眠という欲に脳が思考をシャットダウンする。何が200kmだ!何がスパルタスロンだ!そんなことはもうどうだっていい。とにかく早く寝かせてくれ。そもそも200km走れればの話しだ。私は結局走れなかった。ただそれだけの事じゃないか。すべてを諦め、ふらふらと歩き続ける。
数人のランナーが追い抜きぎわに、ファイトです。ガンバ。などと小さく声をかけてくれる。私はそれを聞いて、そうか。もう十分頑張ったんだから、ゆっくり休みなさい。といってくれているんだ。と裏返しの解釈する。とにかくこの周回を終えたらテントに戻ってぐっすりと眠るんだ。ただずっと、それだけを考えていた。
後ろから声がする。それは先ほどまでの小さな声ではなく、もっとはっきりとしていた。かなり後ろの方から聞こえてきてどんどん近づいて大きくなっていく。「おい、ズケーふらふらじゃんかよ。後ろから見てると凄げぇ危ねぇぞ!」私は力なく一言だけ答えた。眠い。と。すぐさま「俺だって眠いし、みんな眠いんだよ。ガンバろうぜ!」と返ってくる。その声はヨレヨレと不甲斐なく歩く私に対する励ましとも怒りともとれる強い口調だった。彼はあっという間に私を置き去りにしてスタスタと走り去っていった。
追い抜きぎわに彼の名前を確認した。(ゼッケンにはNo.だけでなく氏名も記入されている)私は彼の事を知っていた。彼は私の事なんてこれっぽちも知らないだろうけど。
ウルトラマラソンの世界は実に狭いのだ。とくに超長距離ともなると参加する人数は限られおり、いつも同じような顔ぶれがスタートラインに集まるのである。今でこそそれなりに人気を集めてきてはいるが、知名度といったらまだまだで、一般にはほとんど浸透していない。いかんせん地味で過酷で辛いのである。これから先大きく成長するかといえば、疑問である。それでも昔から開催されている大きな大会はいくつかあって、今よりもずっと黎明期だった時代からウルトラマラソンに挑戦するランナー達がいるのだ。彼はその中の一人だった。
彼は私が走り始めるずっと前から、国内の数多くのウルトラマラソン大会で優勝しており、大会HPなどに載る過去の記録などでその名前を目にすることが多々あった。(私はこのあたりについてはことさらマニアックであり、過去の記録や優勝者などをネチネチと調べあげてはニヤニヤするという奇行を夜な夜な繰り返しているのである。)
そんな彼のような豊富なキャリアと経験を持ったランナーが神宮外苑の24時間走には集まるのだ。ちなみにこの年の優勝者はのちに24時間走世界選手権を優勝し、世界ランク1位に君臨。そしてスパルタスロンとバッドウォーター(アメリカでデスバレー行われる217kmウルトラマラソンレース。最高気温50℃にも達し、世界一過酷なレースの一つに数えられる。)をも優勝し3冠を達成した。準優勝者も世界選手権団体金メダルに大きく貢献し、さくら道国際ネイチャーランを3連覇している。それ以外にも多くのトップ選手が、国内にとどまらず世界に戦いの場を広げ、活躍しているのである。
とにかく、そんなウルトラマラソン界のトップを構成する一人に数えられる彼からの言葉が、戒めにもなり、激励にもなった。なによりもいい薬になった。そしてギリギリのところで気持ちを繋いで走り続ける数多くのランナーの姿を目に、私の気持ちに少なからず変化がもたらされ、覚醒のきっかけをもたらしたのである。④へつづく ①へ戻る ②へ戻る
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