~走る。パーソナルトレーナー の戯言。~
贅沢な時間。
1周1kmそこそこの周回コースを時間が来るまでぐるぐる回る24時間走とは実に退屈なのである。壮大に連なる山々に朝日が昇ったり、満開に咲き乱れる桜の木に出会うなどという、多くの大会で用意されているようなサプライズな演出は一切なく、鼓舞、鼓吹の種は自らの手で創り出さねばならない。24時間走とは、自分が走り続けるための大義名分を掲げ、だだひたすら、それに向き合うことだけに時間をつかうのである。しかし見方を変えればその退屈は、実に贅沢なひとときにかえることも可能なのだ。
この手の時間走にこぞって参加を表明する者は、皆一様に、なんかしら強い目的意識を持っているのである。例えば日本代表の座をねらう者や自己記録の更新を目指す者であったり、あるいは家族や子供たちに挑戦するを見せたい。自分自身を変えるきっかけをつくりたい。だったり、その理由や目的は様々なのだが、要するに彼らは、今日という日を境にまったく新しい自分へと変貌を遂げ、まだ見ぬ世界へ足を踏み入れようとしている素晴らしき挑戦者たちなのだ。そして、これから始まる24時間をどのように過ごすのか真剣に考えているのだ。だから、一見和やかな雰囲気に見える会場も、そこはかとなく荘厳と畏怖に満ちていたように感じるのであって、私は少し違うところに来ちゃったかな。と少々思ったのであった。
動機。
2016年12月17日。24時間走に挑戦するのは初めての事である。私が挑戦した理由、いや挑戦ではないな。参加だ。私が参加した理由。それはたまたまネットで見つけて面白そうだったから。である。その当時私は、100kmのウルトラマラソンをいくつか走り、なんとなくやり切った感とまだもっと色んな大会にも出てみたいな感の両方を持ち合わせていた。そんな中で目にしたのが神宮外苑なのである。そして私の行動の針は後者に振れ、ここに至るのである。
あえてもう一つ理由を付け加えるとすれば、スパルタスロンであろうか。スパルタスロンとはギリシャで行われるウルトラマラソンレースで、首都アテネからスパルタという町までを走るのだが、その距離実に246kmと途方もなく、しかもそれを36時間以内で走破しなければならないというまさに破天荒且つ規格外であって、ゆえに世界最高峰のひとつに挙げられる大会なのである。
スパルタスロンの存在は割と早くに知っていた。でも私には関係のない他人事だと思っていた。それでもウルトラマラソンにのめり込んでいくうちに、どうやら他人事ではなさそうだと思い始めてきた。残念ながら着実に走力が付いてきてしまったのだ。
それなら、と思い、仮に神宮外苑で200kmを超える事ができたなら、スパルタスロンを目指してみようじゃないかと考えたのだ。絶対に200kmを超えてスパルタスロンを目指す!ではない。200km走れたら目指してみようかなぁ…。である。
序盤。作戦。
参加選手は120名くらいだった。恐らくゼッケンのナンバリングは24時間走における実績順であろう。私が貰ったゼッケンは102であった。
私はその数字を知り少しばかり考えた。この3桁ゼッケンで序盤にグングンと周回を重ねていたら、あやつは24時間走というものをまるで分かっておらん阿呆だ。まあ半分と持たぬだろう。などと若いゼッケン保有者に嘲られてしまうのではないか?私は湿っぽくネガティブなのだ。しかしネガティブということがすべての事柄おいてマイナスな要素として組み込まれてしまう性なのか?というと答えはノーだ。私はそのネガティブさゆえに、その作戦が功を奏し序盤を無事に切りぬけることが出来たのだ。
私とて、一応ウルトラランナーの端くれだ。なんやかんやで作戦というものは立てるのである。作戦はこうだ。(大会は2016年だがこれを書いているのは2023年だ。なので現在の私が当時の私の考えに無意識に補正をかけている点は否めない。なるべく当時の私が考えていた事を書こうと思う。)
とにかくペース配分にだけには気を付けた。今までオーバーペースで入って後半に失速する。なんてことが何度もあった。でもそれは100kmそこそこのレースであって、とりあえず何とかなるのである。しかし24時間走に置き換えてみてはどうだろう?前半に失速し、まだ12時間もある。なんて事態に陥れば、行く末は容易に想像がつく。とにかく潰れないようにゆっくり走り、しぶとくコース上に居座る事が先決だ。
そして、テントの帰省頻度だ。この1325m置きにエイドがあるという考え方が、実に危険なのである。今もそうだが、当時の私もその危険度を十分に理解していた。その危険を一言で簡潔に現せば、”用もないのについつい寄っちゃう”なのである。何かと自分に都合の良い理由を付けてはいそいそとテントへしけ込む。さるれば、おのずと距離は伸びずただただ時間だけが無駄に過ぎていく。という展開になるのが容易に想像できるのだ。
そして厄介なのがエイドステーションであった。コーラ、スポドリ、お茶、各種ジュース、コーヒー、豆乳、スープなどなど大抵のものはそろっており、その店構え足るや否やどこぞのドリンクバーにも負けぬ劣らぬ魅力と輝きを放っていたのである。これはマズイと畏怖したが、私は心を鋼のごとく硬く閉ざし、30分に1回だけ寄ってよし。という制約を立て、これら誘惑を跳ねのけることに成功したのだ(序盤は)
なんにせよ序盤は立てたこのネガティブ大作戦は見事に功を奏し、手探りの中で臨んだ24時間走という未知の体験をとりあえず軌道に乗せることに成功したのだ。しかし、24時間走り続けるという事はそう甘くなかった。歯車が突然狂いだす瞬間が来たのである。③へつづく ①へ戻る
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