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神宮外苑24時間 チャレンジ ①

~走る。パーソナルトレーナー の戯言。~

時間走。その距離を競う。

ウルトラマラソンは全国各地、世界全土、数えきれないほど多くの大会があり、きっと今日も何処かで誰かが苦楽憂喜しているのだ。様々な距離やロケーションのなかで趣向を凝らした大会が無数に存在するが、根本的にすみ分けすると、ズバリ、時間を競うか。距離を競うか。という点に分類される。前者は決められたコース、決められた距離をとれだけ早いタイムで走れるか?という時間(速さ)を競う大会。後者は決められた時間の中でどれだけの距離を進めるか?という距離(長さ)を競う大会だ。(最近はまた違った趣向の大会も人気を博していているが、それはまた別に機会に)まあ、速さを競う距離走の方が圧倒的に多いのだが、時間走にはまた独特の風情だとか趣きがあってなかなか面白いものである。

そして今日紹介する神宮外苑24時間チャレンジはその名の通り、24時間で走った距離を競う時間走なのである。そして時間走における日本最高峰の大会の一つで、世界で戦うウルトラランナーが数多く輩出されてきた名誉と歴史ある大会なのだ。

神宮外苑。概要。

神宮外苑24時間チャレンジ。私はこれまでに3度の出場経験がある。2016年~2018年までの3回だ。結果は見るも無残な惨敗続き。初めて走った2016年こそ、207kmを走りスパルタスロンやさくら道に挑戦するきっかけを作った大会にはなったが(さくら道はこちら スパルタスロンはこちら)それでも内容はどうか?というと、決して褒められたものではない。特に2017年、2018年なんかは、YOUは何しに東京来たん?と言われても仕方がないくらいの結果で、下唇を噛みながら言葉少なに、逃げるように汽車に乗り込み帰路に着いたことを覚えている。

私は200kmを超えるクラスの距離走の場合、24時間換算すると230kmくらいは進めるスピードを出している計算になる。しかし24時間走での私の記録はそれより遥かに低いのだ。というか到底200kmにも満たない記録であり、その理由は他ならない、ズバリ24時間走の走り方が分からないからである。大の苦手、戦下手なのだ。きっとこれから記す私の回顧を読めば、そのあたりを分かって頂けると思う。賢明なる読者の方におかれては、どうか私と同じ轍を踏まないでほしいのである。

神宮外苑の周回コース。絵画館や神宮軟式野球場を囲むようにオーバル状の形をしており、国立競技場、神宮球場、いちょう並木なんかを視界に捉えながら走るコースである。つまり都会のど真ん中のめちゃめちゃ映えスポットなのだ。1週は1325m。高低差ほぼなし。開催時期は大体11月だが、年によって異なる。因みに2023年は3月に開催される予定だ。総じて記録が出やすい大会の一つで、ほかに12時間走や50km走なども同時開催される。24時間走と50km走は世界選手権の代表選考大会になっていて、世界で戦う多くのランナーがここからチャンスを掴んでいくのだ。世界選手権の優勝者も、スパルタスロンの優勝者も、さくら道の優勝者も、皆ここを優勝している。

エイドステーションが1か所ある。要するに1325m置きにあると思ってもらえればよい。エイドステーションは選手の拠点にもなっていて、指定されたテントに自分のドリンクや食料、着替えなんかを置くことが出来る。また、ハンドラーという制度がある。ハンドラーとは選手をサポートする係の者の事であって、選手1名につき1名付けることが出来る。ハンドラーの行動規則にも一定のルールがあり何から何までサポートしても良いというわけではない。ただとても有利に働くことは確かだ。だだし、すべてのランナーがハンドラーを付けられるかというと、そうではない。一定の条件を満たしたトップランナーのみに許されている。ちなみに私は付けたことがない(付けられる条件を満たしていない、たぶん)。競技ルールは至って簡単だ。24時間後に一番距離を踏んでいた選手の勝ち。ちなみにウルトラマラソンは42.195kmを超える距離を走るマラソンと定義づけられている。従って、24時間一生懸命走っても42.195kmを超えないと記録なし。という事になってしまうのだ。

では、とりあえず私が初めて24時間走なるものに挑戦した2016年にタイムスリップしてみよう。②へづづく