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さくら道国際ネイチャーラン ④

~走る。パーソナルトレーナー の戯言。~

2019年を最後に開催されていないさくら道国際ネイチャーラン。途切れることなく、さくらのリレーを繋いでいこうという想いに感謝しております。私の「さくら道」記事も、もう4回目となってしまいました。ここらで終わらせて、そろそろ本番に向けて練習しようかと思います。トレーニング記事の中で練習内容をご紹介出来ればと。本番まで自らをパーソナルトレーニングします。

確信めいた飛躍、そしてニタリ。

私の知るランナーの多くは、年間に信じられない数のレースを詰め込んでいる。20,30レースは当たり前で、ほとんどが100km級のウルトラであったり、なんだったら、さくら道の後に川の道(本州縦断500kmを超える怪物レース(5月開催))走ります。とか、UTMF(富士山外輪山1週100マイルトレイル4月末開催(当時))行ってきます。とか、にわか信じがたいことをぬかすのである。兎に角、彼らは私の知らない、特別な物差しを所有しているようなのであって、到底無比太刀打ちなどできぬのだ。一方の私はというと、春のさくら道、秋のスパルタスロンを中心に健全で緻密なスケジューリングをたてる。彼らのようなローテーションで1年間を過ごしていれば、きっと私の体は、ビリビリに引きちぎれ、見るも無残な姿に変えられた挙句、二度と安寧の地を踏むことは出来ないだろうと、確信するからである。というわけで、今年も(2019年の事)健全で緻密な計画のもと、無事にさくら道への出場が叶ったのである。

調子が良かった。しっかりと練習が積めていたし、練習の内容も充実していた。1ヶ月前に走った100kmのレースでも自己ベストを1時間近く更新していた。つまり私は今、最高にキレているのだ。一方で、250kmという長距離、長時間レースは不確定要素も多く、一概にその時の調子が記録に反映されるとも限らない。わずかなミスが引き金になって、ケガを誘発させたり、突然の睡魔に襲われることだってある。コースガイドが分かり易いさくら道といえど、土地勘のない場所で道を間違えてしまえばたちまち迷子となり、それがどこぞの住宅街なんかだったりしたら、近隣住民に不審者扱いされ、どこかに連行なんてことも。それならまだしも、事故にあって皆さまにご迷惑をかけるなんてことがあれば、もはや自分ひとりの問題ではなくなってしまうのである。そう。ロングレースとは実に奥深いのだ。が、しか~し、小さく見積もっても、間違いなく昨年より良い記録を出すことが出来るだろうという、確信めいたものは感じていた。それは周りのランナーにも同じ目に映っていたようで、今年はいけるんじゃないですか。などと結構な人数に言われたのである。その都度、いやいやなどと、否定はするものの、内心ではニタリと実に気持ちの悪い薄笑いを浮かべ、その確信が主観的なものなどではないことを、確信するのであった。

果たしてさくら道はスタートした。

結果はというと、な、な、なんと昨年より6時間以上も記録を縮めてのゴール。私はミスもなく、ケガもなく、コースも間違えず、事故にも合わず、不審者でもなかった。最後までランナーだった。昨年とは打って変わって、絶好の天候、最高のコンディションでの開催であり、それが記録更新に拍車をかけたとはいえ、6時間短縮とは予想の遥か上をいく数字であった。開会式で私の激走を予想した方々も、さすがにこれほどとは、という様子で、それはもうたくさんの祝福の言葉をかけてくださったのだ。ニタリ。

模範。モラルのトレース。

実行委員長の言葉に並々ならぬ情熱を感じた。閉会式の総評で壇上に立った委員長は、大きな事故も起きず滞りなく終了したこと。いつになく絶好のコンディションで完走率が高かったこと。今年も皆さんの走りに勇気と元気もらったこと。など、ごく一般的なあたり触りのない内容を時にユーモラスな表現を交えながら話し始めた。会場も穏やかな笑いに包まれていた。しかし、ひとしきり話し終えると、少し間をおいてその内容は一変した。そして、少し震えたような口調で慎重に言葉を選ぶように語りだした。委員長を語った内容はおおむね以下の通りだ。

  • 大人数で歩道を塞いで走っている。車道にまではみ出す者もある。
  • 道路っ端で大の字になって寝ている者がいる。
  • 交通ルールを守らず、一般車両の通行を妨げる者がいる。

その語り口は次第に強まり、語気が荒くなっていく。その一方で、どこかもの悲しげで感嘆な憂いを纏っているようにも感じられた。委員長はさらに続ける。「ここにいる人はすべてのランナーの模範とならなければならない。私どもはそのような実力もモラルも兼ね備えたランナーを選考しているつもりだ。それができないなら参加してもらわなくて構わない。」と。閉会式の場、大会の無事を安堵して互いの勇姿を讃え合うすべての関係者が集まる場で、このような厳しい総評を述べるという事は、委員長自身も当然不本意であろう。しかし逆にこのような場だからこそ、言わねばならぬという委員長の決意に満ちた言葉は私たちの心を討った。このままではあなた達の大好きな大会をあなた達自身の手で潰しかねない事になる。それはあなた達にとっても不本意で、当然私どもも不本意だ。さらに言えば佐藤良二氏の功績そのものを汚す事にもなるんだと。

しんと静まった会場で自問自答する。きっと周りにいるすべてのランナーも同様であろう。頭の中で昨日の250kmをトレースする。栄光や快走の記憶をトレースすることは茶飯的にあったが、模範的であったかどうかをトレースする事は初めてだった。我々は委員長から新しい視点を授けられたのだ。

あれから4年、周知の事実の通りさくら道は国際ネイチャーランは開催されていない。もしかすれば、ランナーの顔ぶれも大きく変わっているかもしれない。今までとは違った運営を取らざる負えない事も当然あるだろう。それでも開催までに、私の想像に遥か及ばない無数の障壁を乗り越えた関係者に敬意を称する他ない。私はランナーとしてのタスクを遂行するために、自分に出来ることを、文字通り全身を使って表現をするのだ。①へ戻る ②へ戻る ③へ戻る