~走る。パーソナルトレーナーの戯言。~
2023さくら道国際ネイチャーランに出場することが叶った私ですが、初めて桜の舞台にたった、あの時の事を思い出すと、今でも熱いものが込みがあげてきます。恥ずかしい走りをしないためにも、スタートラインに立つまでしっかりやらにゃあかんと思います。
「さくら道」との再会。少しだけ人格者となって手にした鍵。
「さくら道」と出会ってから、私の人生は大きく変わるものだと思っていたげと、その時が訪れるのは、まだまだ先の事であって、なにしろ出会った当時はさくらの敷居をまたぐにふさわしい人格も実力も持ち合わせていなかったのだから、考えてみれば当然のことである。それからしばらくは頭の中にさくらのさの字もよぎらない、ごく普通のウルトラランナーとしての日々を過ごしていた。
少しづつ変わっていくのを感じたのは出会いから2年後の事だった。いつものように、なにか面白そうな大会はないか?とパソコン画面に熱心な視線を注いでいた時の事である。手を変え品を変え色々なキーワードを打っては、打っては、を繰り返すのち、映し出されたのが「神宮外苑24時間チャレンジ」なるサイトだった。ちょうどその頃の私は、富士五胡を走る118kmや難コース八ヶ岳野辺山の100kmなどを経験し、適度に調子に乗っていた。そして、それと同時に、適度に飢えていた。現状に満足しつつも上を目指す気概があった。つまりこの先、ウルトラランナーとして伸びるか、堕ちるか、どちらにも転がる大切な時だったのである。一方で、ランナーとしてのこれといった目標もなく、ただとりあえず走っている。あるいは強迫観念に似た感覚に囚われて、走ることがルーティンワークに組み込まれてしまっているのではないか。といった類の言いようのない虚無感も感じていた。だから神宮外苑24時間チャレンジなるものは、なんかしらの変化を求めている私にとって射し込んだ光のようなキラキラとした文字であった事を今でも覚えている。
まあ、フツーの常人であれば「神宮外苑24時間チャレンジ」なる言葉に吐き気を催すに違いない。ましてやキラキラなぞどぬかす輩はそういまい。何を考えているんだ。今ならまだ遅くない、引き返すんだ。など優しい言葉をかけてくれる者もおるだろう。まあまあ、みなまで言わんでよろしい。分かっておる。私は2年前とは違うのだよ。ウルトラランナーとして経験を重ね少しづつ力をつけて、ちょっとだけ以前よりも人格者になったのだ。だからこそ、この言葉が放つ、豊潤で艶やかな密の匂いを嗅ぎとる事が出来るのだよ。
確かその日のうちに「神宮外苑24時間チャレンジ」なるものにエントリーをして、入金を済ませた。正直大会の概要などにはろくすっぽ目を通していない。大会は12月だったと記憶している。24時間走るのはもちろん初めてだ。今まで連続で11時間しか(しか?)走ったことがない。単純に倍以上だ。でも終わって見れば、24時間で207kmくらい走っていた。(もちろん壮絶な戦いがあるのだが、ここでは語らない。ここで語っている。)24時間走の走行距離はウルトラランナーにとってひとつの指標となる。スカウターで覗く戦闘力と一緒なのだ。そして200kmを隔ててひとつの大きな線が引かれる。フルマラソンでいうサブ3と似ているかもしれない。そして幸い私は知らずしてその線の向こう側に身を置く住人になることに成功した。そして、それが意味するのは、今まで自分とは無縁だと思っていた世界へと続く、架け橋を渡る権利を得るという事だった。開くはずのない扉を開ける鍵を手に入れるという事だった。私はその鍵で、まだ見ぬ世界へと続く大きな扉を開いた。伸びるとも堕ちるとも、どちらにも転びうる状態であり、虚無の化身のようであった当時の私は、なんとか上昇する気流を掴み、推進力を得ることに成功したのだ。そして、その勢いを衰退させるまいと、翌年のスパルタスロン(ギリシャで行われる246kmマラソン)に申し込んだ。そして、な、な、なんと勢いそのまま完走してしまったたのだ。(こっちにももちろん壮絶な戦いがあるのだがここでは語らない。ここで語っている。)
スパルタスロンのセレモニーでの事、「スパルタ完走したなら、さくら道出なぁあかん」と言われた。あぁ、きた。「さくら道」。でも大丈夫。今度はちゃんと準備出来てますよ。何もかもが伴わなかったあの時とは違いますから。なんつっても人格者ですから、ふっふっふ。この鍵は、さくらの扉を開く鍵。さくらの敷居をまたぐ鍵。ごく自然なかたちで桜の舞台が私を迎え入れてくれた刹那。さくらの舞台を踏む6か月前の事。③へつづく ①へ戻る
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